平成2年度の展覧会(1990年4月から1991年3月)

ページID1001260  更新日 2023年7月5日

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市制40周年記念 はてしなき飛翔 下村良之介 展

会期:平成2年4月26日から5月13日

チラシ:市制40周年記念はてしなき飛翔下村良之介展

従来の日本画を越えた独自の表現方法によって、既成概念を打破る新しい造形をめざした下村良之介の回顧展です。

下村は1923(大正12)年に大阪に生まれ、1943(昭和18)年に京都市立絵画専門学校を卒業しました。戦後、依然として、現実を直視しない既成日本画壇に疑問を抱き、1948(昭和23)年、京都絵専出身の若手日本画家らとともに、パンリアル美術協会の結成に参加し、以後その中心的作家として活躍しました。また、ピッツバーグ国際現代絵画彫刻展、サンパウロビエンナーレなどに出品して国際的評価を得、日本国際美術展、現代日本美術展にも出品し幅広く活躍しました。その意欲的な制作活動は、終戦とともに開始され、「膠彩絵画の可能性を拡充しよう…。」と荒廃しきった戦後直後の社会と直結した題材をもって、パンリアル展に発表します。

パンリアル結成4年目頃から、主題が鳥に絞られます。初期には、陰影による表現に疑問を抱き、抽象的な表現に移行して線が主体の作品を発表しました。その後、紙粘土によるレリーフ様の作品を制作し、既成の日本画の範疇を越えた独自の画風を展開します。

この展覧会は、代表作約40点に、版画、やけもの(焼物)、自画像を含む約80点によって下村芸術の真髄を紹介しました。

第8回 衣浦東部美術展

会期:平成2年6月6日から6月17日

衣浦東部地域(碧南市・安城市・知立市・高浜市・刈谷市)で活躍する100人の作家たちによる日本画、洋画、書、写真、彫刻、工芸作品、100点を紹介します。

この展覧会は、当美術館が開館した昭和58年6月に、開館記念展として開催しました「郷土作家百人展」を受け継ぐものです。昭和59年度より現在の「衣浦東部美術展」と名称を改めて、平成20年度の第25回展まで開催しました。

第7回 愛知教育大学美術教室・総合造形コース教官展(愛知教育大学 美術教育講座 教官展)

会期:平成2年6月20日から7月1日

刈谷市内にある愛知教育大学の美術教室・総合造形コース(美術教育講座)の教官有志による絵画、彫刻、工芸など多彩な作品を紹介しました。
昭和59年度から平成16年度の第20回展まで毎年開催しました。

市制40周年記念 いつかきたみち 路 平松礼二展

会期:平成2年7月18日から8月5日

チラシ:市制40周年記念いつかきたみち 路 平松礼二展

現在、過去、未来、自らの、そしてさまざまな人生・くらしが刻まれた「路」を描きつづける平松礼二の展覧会です。

平松は1941(昭和16)年に東京に生まれ、1958(昭和33)年に愛知県立旭丘高等学校美術課程に入学しました。1964(昭和39)年卒業。川端龍子率いる青龍社に出品し始め、1966(昭和41)年、川端の死により青龍社は解散し、発表の場を個展、創画展へと移します。

1977(昭和52)年に創画会賞、1980(昭和55)年に第2回東京セントラル美術館日本画大賞優秀賞、1988(昭和63)年に第1回MOA岡田茂吉賞優秀賞、1989(平成元)年に第10回山種美術館賞大賞などを受賞し、高い評価を得ます。また、1984(昭和59)年には、若手日本画家らとともに、その会派等をこえて日本画の今後を研究する場として「横の会」を結成し、その中心的存在として活躍しました。

「路」シリーズは、異国の厳冬な風景から始まり、そこに自らの心の空虚を表現しました。この時代は、現世と来世を行き来するような陰のある画面を展開します。40代に入り、木曽、美濃の山中の静かな路を求め、その後、木曽谷を走る木と水の路を下りはじめます。どの画面にも、四季の移り変わりが描きこまれています。「路」は自然と中国に向かい、以後も「路」をテーマにあらゆる角度から挑戦を試み、独創性をさらに強めています。

この展覧会は、代表作70余点によって、平松礼二の詩情豊かな世界を紹介しました。

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第6回 愛知陶磁資料館所蔵品展 荒川豊蔵の魅力

会期:平成2年8月15日から9月9日

チラシ:第6回 愛知陶磁資料館所蔵品展 荒川豊蔵の魅力

荒川豊蔵は、桃山時代の志野が美濃で焼かれたことを実証した筍絵の志野茶碗発掘のエピソードで知られています。それ以降、志野に取り組み、独特の味わいを持つ“荒川志野”を完成させて、志野の第一人者となりました。

荒川は、青年時代に画家を志したほど、絵画の技量が高く、また一時代、北大路魯山人の陶房でさまざまな作品を作っていたことなどから、非常に幅広い作陶をしています。特に、絵心を生かした赤絵や染付けの作品は、そのもととなった、中国製品とは違う新しい豊蔵作品として仕上げています。

この展覧会では、焼き物と絵画約30点を紹介しました。

第5回 風景の会絵画展 「白川郷を描く」

会期:平成2年8月28日から9月9日

チラシ:第5回 風景の会絵画展 「白川郷を描く」

1986(昭和61)年に東海地方の作家が所属団体や会派を超えて「風景の会」を結成しました。
各回それぞれテーマを設けて開催し、平成7年度は第10回記念展として、「平成の富嶽百景」と題し現代の富士100景を展覧しました。当館では、昭和62年の第2回展から平成7年度の第10回展まで開催しました。

市制40周年記念 棟方志功 生命の歓喜

会期:平成2年10月5日から11月4日

チラシ:市制40周年記念 生命の歓喜 棟方志功展

棟方志功は、1904(明治37)年に青森に生まれ、幼い頃から「凧絵」や「ネプタの絵」にひかれ、画家を志しました。「わだばゴッホになる」と上京したのは、1924(大正13)年、21歳のときでした。

独学で洋画を学び、白日会展、帝展などに油絵を出品、1928(昭和3)年には、第9回帝展に初入選を果たしました。この頃、川上澄生の版画「初夏の風」に感銘し、日本の木版画の独自性を賛美したゴッホのことを考え、版画への道を決意しました。

1936(昭和11)年、第11回国画会展出品の「大和し美し」により、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司の知遇を得、彼らの卓越した芸術観、宗教観に大きな感化を受け、棟方板画の基礎が築かれました。その後、仏教、経典に多くの主題を求めた意欲作を発表し、数々の傑作が生まれました。

1955(昭和30)年サンパウロ・ビエンナーレにて版画部門最高賞や昭和31年ベニス・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞し国際的にも高い評価を得ました。また、1970(昭和45)年には文化勲章を受章しました。棟方の奔放な作風と旺盛な制作意欲は晩年まで衰えることがありませんでした。

この展覧会は、生誕地青森市にある「棟方志功記念館」とアトリエのあった鎌倉市の「棟方板画館」所蔵の初期から晩年に至る板画、油絵、書尾、倭画など約320点により、棟方志功の芸術の真髄を紹介しました。

第6回 日本表現派(選抜)展(第34回)

会期:平成2年11月21日から12月2日

日本表現派は、日本人の誰もが心の底に流れている内なるものを素直に表現した作品の創造を求め、形式や技術に捉われず純粋な精神の高揚を求める作家の集まりとして設立されました。

昭和60年度の第29回展から平成3年度の第35回展まで巡回展を開催しました。

第5回 清教学園幼稚園作品展

会期:平成3年1月5日から1月27日

大阪府河内長野市の私立清教学園幼稚園児の絵画作品を展示しました。
同園は絵画制作の指導を通して、子どもの個性を最大限に伸ばすことを目的とし、昭和30年頃から全国的に有名になり、高松宮妃殿下賞、大阪府知事賞など数多くの賞を受けています。

小企画連「横山大観」複製画展

会期:平成3年1月29日から2月3日

市川晃展 実在への視線

前期:平成3年2月26日から3月3日 後期:平成3年3月12日から3月17日

1987(昭和62年)3月、春陽会会員 市川晃氏より美術館に寄託された作品のうち、初期作品の一部を紹介しました。

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