昭和58年度の展覧会(1983年6月から1984年3月)

ページID1001267  更新日 2021年2月25日

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刈谷市美術館開館記念 郷土作家百人展

会期:昭和58年6月11日から6月23日

刈谷市美術館は昭和58年6月に開館しました。

この展覧会は、開館を記念して開催されたもので、刈谷を中心とする郷土作家、また郷土ゆかりの作家百人による洋画、日本画、書、彫刻、写真、工芸作品を紹介しました。

翌年からは、「衣浦東部美術展」と名称等を改めて開催し、平成20年度の第25回展まで開催しました。

美術作家年賀状九十九展

会期:昭和58年11月22日から12月4日

この展覧会では、日本画家 鈴木健夫氏(豊田市)が交流をもっている美術家の年賀状を1951年(昭和26年)から保存整理されていたものを借用して展示しました。

第1回 刈谷市所有美術品展

会期:昭和58年12月13日から12月25日

この展覧会では、市民の方が利用されている市内施設に展示され、また、普段目に触れることが少ない美術品の一部を一堂に展示しました。

第1回 板倉 賛治 画伯遺作展

会期:昭和59年1月10日から1月22日

板倉賛治(1877年から1965年)は、愛知県碧南市(現在)に生まれました。1906年(明治39年)より東京高等師範学校図画手工専修科で学び、卒業後の1908年(明治41年)に同校の教諭となりました。1913年(大正2年)には日本水彩画会創立会員となり、また帝展などへも出品しました。

「図画教育のスケッチの実際」「板倉図案集」「中等図画教本」「中等図法教本」などの出版、1931年(昭和6年)に国定教科書小学図画編さん委員となり、図画教科書に作品が掲載されます。また、1935年(昭和10年)には手工教育の功績によって、その翌年には図画教育の功績によって表彰されるなど、水彩画家としてだけでなく、児童・生徒の美術教育の場からも活躍しました。

戦争が厳しくなった1942年(昭和17年)、碧南市新川町に疎開し、地元の青年たちに絵の指導をしたり、ふるさとの風物など多くの作品を描きました。戦後は、東京に戻り制作活動を続けました。

この展覧会では、疎開当時に描いた「油ヶ渕」など郷土碧南の風景画をはじめ、静物画など20余点の水彩画を紹介しました。

郷土の南画家 澤 梅谷 遺作展

会期:昭和59年2月14日から3月4日

明治、大正を通じて活躍した刈谷出身の南画家・澤 梅谷(1861年から1928年)は、文久元年に刈谷藩大監察・澤健次郎俊盛の子として生まれ、天誅組の総裁・松本奎堂の従甥にあたります。幼い頃より学問に志し、特に漢学に優れて知多郡の小学校で教鞭をとり、また私塾を開いて教導に貢献しました。

そうした多忙のなか、画道をも志して山本梅荘に師事し南宗画の指導を受け、明清の古画の模写などをします。その後上京し、瀧 和亭に師事し花鳥画を学び、動植物の写生に研鑚しました。

この展覧会は、刈谷市を中心に近隣に残されている澤 梅谷の作品約20点を紹介しました。

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美術館
〒448-0852
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電話:0566-23-1636 ファクス:0566-26-0511
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