熊地区

ページID1004091  更新日 2021年2月25日

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熊地区

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熊がいたから熊村?

写真:木簡
平城宮址から出土した木簡(写真提供:奈良文化財研究所)

「熊村」の地名の由来は、正保年間(1644年~1648年)ごろ、紀伊の人専光坊舟行が熊野神を奉持して海路この地に上陸し、祠(ほこら)を造って祀(まつ)ったところから熊野村と称し、のち熊村と呼ぶようになったとする説があります。


しかし、正保年間以前の文書に熊村の名がみえることからこの説は成り立たず、むしろ、奈良時代の平城木簡の出土により、それに墨書きされた碧海郡の八つの里名の一つ「前里」の「前」を「くま」と訓(よ)む古代の事例から「くまのさと」と訓んでみると、これが地名の由来にあたると考えられます。
(刈谷市史第1巻より)

見つめ直そう日本文化

写真:月見の様子
栗名月 空のかなたに思いをはせて

11月3日(旧暦9月13日)に熊市民館において、「十三夜」の月見を、熊なでしこ会とわかば会伝統文化子ども教室の協力を得て行いました。
参加人数は約60人。その半数以上が子どもでした。琴の演奏を聴きながら抹茶を飲み、月見を楽しみました。
澄んだきれいな月は、自然への感謝の気持ちを呼び起こし、心が洗われ、美しい情緒は、子ども達にも体験として伝わったことでしょう。初めての試みとしては、まずまずの成果だったと思います。来年もゆったりとお月見を楽しみたいと思っています。

(平成18年12月15日号市民だより掲載)

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