重原陣屋跡

ページID1006391  更新日 2021年3月1日

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下重原町5丁目

写真:石碑
重原陣屋跡石碑

寛政の一揆によって刈谷藩は、幕府から村替えの処分を受け重原村、野田村、半城土村、高須村、小垣江村、犬ケ坪村等18か村を、奥州の福島領・幕領の一部と交換することになり、以来福島藩はこの地に陣屋(現在の重原市民館あたり)をおいて郡代により三河の飛地を治めました。浄福寺の前には「重原陣屋跡」の石碑が建てられています。
この碑とならんで「従是東福島領」(これより東、福島領)の碑が建てられています。「従是西福島領」は、知立市の上重原町公民館裏にあり、もとは東海道筋の福島領の東と西の端にありました。福島藩三河分領は、明治2年(1869)三河国に新たに150か村を与えられ、重原藩が誕生し、やはりここを陣屋として治めましたが、明治4年(1871)廃藩となりました。陣屋で使われた門は、半城土町の願行寺の山門に、玄関は十応寺にそれぞれ移築されています。

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