椎の木屋敷跡

ページID1006388  更新日 2021年3月1日

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銀座6丁目

写真:椎の木屋敷 石碑

刈谷城の絵図をみると、刈谷城の北東に少し高台になっている場所があります。
その一帯を椎の木屋敷といいます。
椎の木屋敷は徳川家康の生母である於大が、岡崎の松平広忠に離縁されて水野家に戻された際、一時住んでいたといわれる場所です。
江戸時代には一般の人の出入りが禁止されており、人夫がときどき清掃を行うとともに、出入り口には鍵がかかっていました。中央は窪地で、まわりが高く、椎の木が多く茂っていて、数基の五輪の棟と、地蔵尊が立っていたといわれています。

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