刈谷市のあゆみ

ページID1004363  更新日 2021年2月25日

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刈谷の由来

伝説では、元慶元年(877)に出雲より一族を連れ移住した狩谷出雲守の名によると言われています。

沿革

刈谷市域には本刈谷貝塚、八ツ崎貝塚をはじめ多くの遺跡が存在するように縄文時代には、本市の三大河川、逢妻川、境川、猿渡川の周辺に人々が住んでいたことがわかります。 刈谷市が都市形態をとり始めたのは、天文2年(1533)に水野忠政が刈谷城を築いてからです。
その後、刈谷藩の成立により、水野、水野(分家)、松平(深溝)、松平(久松)、稲垣、阿部、本多、三浦、土井の諸氏に引き継がれ、藩の家臣団及び商工の町人とによって構成された城下町として発展してきましたが、廃藩置県という明治維新の変革により刈谷藩は廃止され、新たな発展をみます。
明治21年に東海道本線が開通し刈谷駅が設置され、大正3年の三河鉄道(現名鉄三河線)の開通により次第に名古屋圏内に入り、もっぱら周辺の消費的経済をまかなう地方商業都市となりました。 そして、大正の末期から昭和のはじめにかけて豊田系企業の工場誘致により新興工業都市として栄えることになり、地方商業都市としての地位を保持しつつ経済圏を拡大しました。
昭和25年4月に県下で11番目の市として市制を施行し、ここに人口30,868人の「刈谷市」が誕生しました。
昭和30年4月には、碧海郡依佐美村の一部、富士松村の両村を合併して現在の市域になりました。
その後、高度経済成長とモータリゼーションの進展とが相まって、自動車関連産業の集積地として飛躍的な発展をとげた本市は、愛知県の経済発展の先駆的役割を果たすとともに、世界的な産業技術首都をめざす愛知県の中核都市として重要な地位を確保し、現在では市民福祉の充実をはかり、15万人都市としての風格を整え、“~人が輝く 安心快適な産業文化都市~”として着実に歩んでいます。

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