学芸員のひとりごと 令和3年10月~令和4年3月

ページID1009264  更新日 2021年12月21日

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ポケット学芸員(12月9日)

皆さんは「ポケット学芸員」という名前を聞いたことはありますか?

 

2021年1月から刈谷市歴史博物館で導入している無料のアプリのことです。

 

自分のスマホやタブレットに“ポケット学芸員”というアプリをダウンロードすると、いつでもどこでも展示の解説を楽しむことができる」というものです。

一度アプリを入れてしまえば、当館だけではなく、登録されている日本全国の美術館、博物館の解説も読むことができるというお得なアプリ。

私も時々アプリ内をさまよって、他の博物館の展示解説を楽しんでいます。

このアプリを見て、今個人的に行きたいのは但馬牛博物館です。

 

それはさておき、当館ではどんな解説が見られるのでしょうか?

 

ポケット学芸員の刈谷市歴史博物館トップ
刈谷市歴史博物館のページです。(注:但馬牛博物館ではありません)

歴史ひろばには、ガイド番号が記載されたこのようなパネルがいくつか置かれています。

ポケット学芸員ガイドパネル

ポケット学芸員ガイドパネル

 

今回は、試しに刈谷城についてのガイドを見てみましょう。

歴史ひろばの刈谷城パネル

歴史ひろばの刈谷城ジオラマの前に設置されているパネルの前で・・・。

自分が見たいガイドの3桁の数字を入力すると・・・

ポケット学芸員使い方

解説が出てきます。

ポケット学芸員 解説

 

さらに、なんと音声ガイド付き!(一部ないものもあります。ごめんなさい。)

音声で解説を聞けるとより分かりやすいです。

 

このようにして、スマホを使って解説を楽しむことができます。

自分のスマホなので、その場で読み切れなくても、家で読める(聞ける)ので、じっくり堪能できますね。

 

ちなみに家で見る場合、こんなリスト画面から同じ解説を見ることができます。

ポケット学芸員のリスト画面

アプリをダウンロードする必要はありますが、気軽に使えるので是非、一度試しに使ってみてください。

スマホをお持ちでない方には、タブレットもお貸しすることも可能です。

受付にお声をおかけください。(館内のみのご利用に限ります)

ダウンロードの方法と詳しい使い方は、下記の「ポケット学芸員」のページをご参照ください。

続 ミニチュア土器(11月16日)

ミニチュア土器2

前々回紹介したミニチュア土器を専門の方に見てもらったところ…

なんと

舟のミニチュア土器でした…!

タテ5センチ×ヨコ2.5センチのちっちゃな舟の模型です。

舟型のミニチュア土器は刈谷市内で初めて出土しました。

一体何に使ったのでしょうか。

復刻版時刻表を開いてみれば5駅目~クイズ1964!時刻表でこんなこともわかる!?~(10月12日)

復刻版の時刻表は1988年と1964年のものが出されています。1988年の時刻表は筆者自身が生まれた後であるせいか、眺めていても「隔世の感」というものはありません。むしろ、懐かしさの方が勝ります。

しかし1964年当時の時刻表を眺めていると、駅に求められた機能や時間の感覚など、現代とはまるで異なる時代と感じます。生まれる前の出来事であれば当然記憶にはないわけですから、その時代を知るには写真や映像といった資料に頼るほかありません。自分が生まれる前と後、そこに「歴史」と「現在」の境界があると言えるのかもしれません。

さて、今回は1964年9月の時刻表に基づき、クイズを5問出題します。解答は全て×です。東海道新幹線開業前の雰囲気を感じ取ってもらえればと思います。

 

Q1 1964年9月当時、刈谷市内には刈谷駅のほかに国鉄(現在のJR)の駅はあった。
Q2 刈谷駅から東京への日帰りは可能だった。
Q3 刈谷駅に夜行列車が停まっていた。
Q4 刈谷駅から名古屋まで路線バスで行くことは可能だった。
Q5 刈谷駅から日本最北端の駅・稚内駅へは、(列車を乗り継いで)出発の翌日中に到着できた

 

 

 

A1 1964年9月当時、刈谷市内には刈谷駅のほかに国鉄(現在のJR)の駅はあった。×
 現在は、刈谷駅のほかに逢妻野田新町東刈谷の各駅がありますが、これらは全て1964年以降に設置された駅です。一番早いのは東刈谷駅で1966年、続いて逢妻駅で1988年、一番新しいのは野田新町駅で2007年です。ちなみに三河安城駅も東海道新幹線開業時には設置されておらず、1988年に開業した駅です。

A2 刈谷駅から東京への日帰りは可能だった。
 当時は東京-名古屋間を準急「東海」が運行しており、刈谷にも停車していました。例として、刈谷駅を7時11分に発車する「東海1号」に乗ると、東京駅には12時20分に到着します。東京駅を16時50分発「東海6号」に乗ると22時ちょうどに刈谷駅に着きます。
 なお、東京-大阪間については戦後長らく日帰りは出来なかったものの、1958年にビジネス特急「こだま」が誕生して以降、同区間を6時間30分で結び、新幹線開業以前でも日帰りが可能となりました。

A3 刈谷駅に夜行列車が停まっていた。
 当時の夜行列車の停車駅は、愛知県内では名古屋のみ、もしくは豊橋に停車というパターンが多かったのですが、刈谷にも停車する列車が3本ありました。1本は準急「東海」(先ほどの準急と同じ名称ですが、夜行もありました)で、こちらは名古屋発東京行きです。2本目は急行「大和」で、大阪を出て関西本線経由で東京まで行く列車です。3本目は姫路発東京行の普通列車です。当時は普通列車で夜行というのも各地で多く走っていました。当時の夜行列車は寝台車でなければ対面シートが普通で、寝るのも大変だったのではないでしょうか。私は小学生の頃、子ども会の旅行で夜行列車に乗ったことがありますが、4人掛けに4人だったため床に寝た記憶があります。
 当時は、準急・急行・特急だけでも21本の夜行列車(名古屋~東京間)が走っており、東海道線も大変賑やかでしたが、新幹線開業以後、徐々に減っていきます。

A4 刈谷駅から名古屋まで路線バスで行くことは可能だった。
 今では考えられないことですが、刈谷から名古屋までは国鉄バスが走っていました。運賃は80円、所要時間は1時間15分で、電車と比べると運賃は変わりませんが、時間は倍以上かかります。時刻表からはどこを経由したのか、途中の停留所は不明ですが、1時間に1本は走っていたことがわかります。 

A5 刈谷駅から日本最北端の駅・稚内駅へは、(列車を乗り継いで)出発の翌日中に到着できた。→
 先程も話題に挙がった刈谷7時11分発準急「東海1号」に乗ると、東京駅は12時20分到着。山手線で上野まで移動して、上野駅を13時30分に出る特急「はつかり」に乗ると23時55分に青森に着きます。
 ここで1泊…ではなくて、0時10分発の青函連絡船に乗ると4時35分に函館に着きます。ここからは釧路行の特急「おおぞら」という列車が、4時55分に出ます。この「おおぞら」は函館から札幌を経由して、滝川で釧路行と旭川行に切り離されるという北海道の歴史を彩った列車の一つです。この列車に乗って一路旭川へ。旭川は11時28分に着き、そこから急行「天北」に乗り換えます。この「天北」はその名の通り天北線(浜頓別などのオホーツク海側を通る路線で、現在は廃線)を通る列車で、旭川12時34分発、稚内17時17分着で、刈谷を発った翌日中には着くことができます。


いかがでしたでしょうか。これをきっかけに1964年の「空気」を感じてもらえれば幸いです。
毎回のことですが、写真も少なく、文章ばかりですが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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〒448-0838
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電話:0566-63-6100 ファクス:0566-63-6108
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