学芸員のひとりごと 令和3年4月~9月

ページID1008070  更新日 2022年4月29日

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復刻版時刻表を開いてみれば4駅目~30年前の時刻表で妄想・鉄道旅!(一筆書き編)~(8月1日)

現在、BS放送で友近さんと中川家礼二さんの番組「友近・礼二の妄想トレイン」が放送中です。この番組では毎回ゲストを招き、ゲストが行きたい場所をセレクトし、時刻表に基づいて旅の計画を立てるというものです。鉄道に詳しい方もそうでない方も出演されているため、旅番組としても鉄道番組としても楽しく見られます。

そこで今回は、昭和63年(1988)3月の時刻表を利用し、妄想の鉄道旅を楽しんでみたいと思います。さらに、今回はひとつ縛りを掛けてみたいと思います。それが「一筆書き」です。JR(国鉄)のきっぷは、一筆書きで描ける区間であれば、「片道きっぷ」で乗ることができます。このルールを利用して、刈谷発着で富山・長野経由で大きな円を描いてみたいと思います。

出発日は昭和63年6月25日、土曜日にします。(この日付を決めておくことは、実は結構重要です)

刈谷を7時52分に出て、名古屋で8時29分発の富山行急行「のりくら1号」に乗り換えます。現在の特急「ワイドビュー飛騨」にあたる列車ですが、当時は富山まで5時間かかりました。(富山13時34分着)

高山(11時51分着)で途中下車。ここで昼食です。高山ラーメン、朴葉みそ料理などが思い浮かびますね(30年前にどんなお店があるのかまでは調べられませんでした…)

高山を14時04分発の特急「北アルプス」で富山に向かいます。この「北アルプス」も現在は廃止されていますが、ファンの多い列車でした。なぜかというと、名鉄からJR(国鉄)への直通列車なんですね。大手私鉄とJR、しかも気動車(ディーゼルカー)という全国的にみても珍しい直通運転が行われていました(2001年廃止)。富山まで1時間30分の旅です。

富山では30分程度の乗り換え時間です。富山駅は民衆駅(国鉄時代、地元と共同で駅舎を建築し、商業施設を併設した駅のこと)で、当時から買物や食事をすることができました。駅構内でもお土産を選ぶことができたんですね。

富山からは16時20分発の特急「白山4号」で長野に向かいます。今なら新幹線で46分で着きますが、当時は2時間30分かかりました。
ちなみに、今回は土曜日のため運転していませんが、もし日曜日ならば16時42分発の急行「北陸観光号」という列車が走っていました。これは金沢と新潟を結ぶ列車ですが、6月の休日しか走らないという特殊な列車でした。12両編成の客車型急行ということですが、なぜ6月だけ運行するのかは、調べてもよくわかりませんでした。仮にこれに直江津まで乗れたとすると、直江津から長野は普通列車に乗り換えることとなり、長野着は20時46分となります。

話をもとに戻します。長野に到着すると、長野駅の寺院型駅舎が出迎えてくれます。さすが善光寺の門前町という風格のある駅舎でしたが、新幹線の開通に伴い、取り壊されてしまいました。ここで1泊します。

6月26日、日曜日。この日は朝7時08分発の快速「みすず」で、飯田に向かいます。この快速は現在も走っていますが、「信濃」の枕詞が「みすずかる」であることから付けられたネーミングです。飯田まで3時間ですが、この間は車窓が綺麗で退屈しません。特に姨捨の棚田は昔も今も見どころです。6月だと青々とした稲穂が特に綺麗なのでは?と思います。

飯田では2時間ほど時間があります。飯田の駅舎は開業当時から変わっていないため(リニューアルはしましたが)、今でも当時の駅舎を見ることができます。ちょっと早いですが昼食にしたいと思いますが、飯田といえば蕎麦でしょうか…。

飯田からは普通電車の旅、飯田線は昔も今もそんなに変わっていません。天竜峡駅で乗り換えて中部天竜駅へ。中部天竜駅から豊橋までは休日運転の「トロッコファミリー号」という列車がありますので、それに乗ります。この列車は2006年まで運転されていたとのことですので、覚えている方もいらっしゃるかもしれません。

豊橋までたどり着くとあともう少し。刈谷までは快速がありますが、当時は1時間に1本でした。そのため、30分の待ち合わせ、18時05分発の快速で18時41分刈谷着です。

いかがでしたでしょうか。今回は現在走っていない列車に乗ることを1番の目的とした「乗り鉄の旅」になってしまいましたが、旅の楽しみ方は人それぞれですよね。ちなみに運賃は10,300円特急・急行料金は5,700円です。

旅程表

ミニチュア土器(7月27日)

ミニチュア土器

今整理を行っている泉田町の宮東第1号貝塚からミニチュア土器が見つかりました。
ミニチュア土器は子どものおもちゃや祭祀用に使われていたなどいろいろな説があります。
把手(?)の部分に穴が開いているのもまたかわいいですね。

復刻版時刻表を開いてみれば3駅目~1964年の刈谷駅時刻表を再現~(5月30日)

久しぶりの更新になります。楽しみにしている人(もしいらっしゃれば)、お待たせしました。

現在、刈谷は名古屋の通勤・通学圏であるとともに、市外から刈谷の企業に出勤される人も多く、刈谷駅も朝晩を中心に多くの人で賑わっています。

JRの刈谷駅は特別快速新快速快速区間快速普通の全ての電車が止まり、1日の乗車人員は3万7千人[2019年度]と、在来線のみの数では名古屋、金山、静岡に次ぐ第4位になっています。(JR東海ホームページより)

JR東海道本線は平成以降、通勤路線としても発展してきましたが、「昔のJRは不便だった」「名古屋に行くときも名鉄を使っていた」という話もよく聞きます。どの程度不便だったのか、1964年9月(東海道新幹線開業前)の時刻表から、刈谷駅出発時刻表を作ってみました。まずは、下の表をご覧ください。

1964年9月現在の刈谷駅から下りの時刻表

どうでしょうか。まずは、本数の少なさに目がいくと思います。今だと朝夕ラッシュ時の多い時で1時間あたり10本ありますが、当時は多くても1時間あたり5本、通勤時間帯といえる6~8時台合わせても5本です。また、日中も1時間に1本もない時間帯があるなど、今では考えられない状況です。

次に、列車の種別に注目してみましょう。当時の国鉄は特急・急行の他「準急」という種別がありました。準急は準急行列車の略で、停車駅も急行より多くなっています。特に準急「東海」は東京~名古屋方面を結ぶ列車で、当時は7本走っていました。

この他急行列車も一部ですが、刈谷に停車しています。大阪行きの急行普通姫路行きの夜行など新幹線開業、JR分社化後の今では考えられないような列車が並んでいますね。

当時の写真がないので混雑状況などは不明ですが、少なくとも通勤・通学で使う人は今より格段に少なかったということは言えると思います。

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