学芸員のひとりごと 令和2年4月~9月

ページID1001797  更新日 2021年2月25日

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衣浦湾河口を求めて(その3)(7月25日)

写真:展望台

衣浦トンネルの半田市側にある半田緑地公園。ここには展望台があります。

昭和61年竣工、4階建てとのこと。海沿いだけあって風が強いですが、昇っていくと…


写真:展望台3階の様子

最上階の展望台はガラス張り。確かに周辺を一望できるのですが、ガラスが無い方が写真は撮りやすい。ガラスの無い3階からの写真がこちら。


写真:展望台からの眺め

奥に見えるのは武豊町でしょうか。知多半島は東に延びていくため、ここまで来ても「一面が海!」といった状況にはなりません。

衣浦湾岸を巡ってみて思うのが、工場の多さ。特に臨海部は殆ど工業地帯で、海を感じられる場所は少ないです。

ただ(その2)でも書いたように、釣りを楽しんでいる方は多いことから、魚が多く住んでいることはわかります。それだけ綺麗な海なんでしょうか。

今回はこれで一度終わりですが、いずれ武豊から衣浦湾を眺めてみたいですね。また新たな発見があるかもしれません。―完―

〈収蔵品紹介〉「刈谷音頭・小唄集」(古関裕而作曲)(7月1日)

現在は新型コロナウイルス感染症の影響により放送を一時中断していますが、NHKの朝の連続テレビ小説「エール」は福島出身の古関裕而さんと豊橋出身の妻・金子さんがモデルとなったドラマです。この作曲家・古関裕而さんなのですが、実は刈谷にもゆかりのある人物なのです。

6月27日(土曜)の中日新聞では、市内の個人宅から古関裕而さん作曲で刈谷市制1周年の記念に作成された「刈谷音頭」「刈谷小唄」のレコードが発見されたことが記事になりました。このレコードは白い手書きのレーベルで、テスト盤と推定されていますが、刈谷市郷土資料館にも当時発売された赤レーベルの「刈谷音頭」「刈谷小唄」が収録されたレコードを所蔵しており、現在、赤レーベルのレコードを展示しています。

写真:白と赤のレーベルの3枚のレコード

写真:レーベル部分のアップ

写真:発見されたレコードと楽譜など
発見されたレコード(写真は川口氏提供)

歴史博物館にも、この「刈谷音頭」「刈谷小唄」に関する資料がないかと探してみたところ、わずか2点ではありますが、 歌詞集「刈谷音頭・小唄集」(三つ折りのパンフレット)があることがわかりました。「刈谷音頭」「刈谷小唄」は、現在でも市内の盆踊りの曲として使用されている曲です。

表紙
刈谷音頭・小唄集(表紙、裏表紙)

刈谷市観光協会・刈谷市役所が発行したもので、表紙は黄緑や桃色の鮮やかな色で彩られています。年代は記されていませんが、この2曲が市制1周年の記念に作られていることから、市制施行の翌年昭和26年(1951)以降に印刷されたものと考えられます。裏表紙の発行部分を見比べてみると、フォントや文字の太さが異なります。毎年の盆踊りに合わせて刷られたのでしょうか。何度か版を改めて刷られたと考えられます。

曲自体は昭和26年以前に出来ていたでしょうから、古関さん40~42歳頃の作品となります。

歌詞集の表紙・裏表紙には、列をなして踊る人々の足元が象徴的に描かれています。

写真:歌詞集1
刈谷市を紹介する写真〈万燈まつりと工場街夜景〉

この歌詞集を披いてみると、刈谷を象徴する万燈まつりと工場街の夜景を写した写真が載せられています。
「工場街夜景」のページの右下に小さく発行元も記されていて、「笹徳紙器印刷株式会社」(現・笹徳印刷株式会社、豊明市)の印行とわかります。

写真:歌詞集2
「刈谷音頭」「刈谷小唄」の楽譜と歌詞

次に楽譜と歌詞が載せられていますが、「刈谷音頭」は藤浦洸さんの作詞で、主に刈谷の特色となる産業(紡織機械やトヨタの自動車など)が詩に描かれています。一方、「刈谷小唄」はサトウ・ハチローさんの作詞で、刈谷の風景として雁・逢妻川・工場・お城(刈谷城?)・万燈祭が盛り込まれたものとなっています。

古関さんが実際に刈谷に来られたかどうかはわかりませんが、ドラマ「エール」では、文通相手であった音への恋心や親友を想う早稲田の応援団長のエピソードに刺激を受けて詞に込められた想いを感じながら主人公・裕一が作曲する様子を描いていました。裕一のこのような作曲姿勢から想像すると、裕而さんは、この二人の作詞家が綴った詞から刈谷の風景を思い浮かべて、刈谷のことを深く考え抜いて「刈谷音頭」・「刈谷小唄」を作られたのではないか、と妄想が広がります。

さて、資料の紹介から妄想にまで話が膨らんでしまいましたが、このところ県内では、古関さん作曲の作品に関する報道での発表や紹介が続いています。先日豊橋市では、豊橋応援歌が新たに2曲発見されました(豊橋へ「エール」新たに2曲、「朝日新聞」6月16日三河版)。蒲郡市博物館では、古関さん作曲「観光蒲郡の歌」関連のレコードなどが期間限定(7月12日まで)で展示されています。春日井市では、8月に古関さんの作品を演奏するコンサートが開催されることから、春日井市歌「わがまち春日井」がなぜ古関さんの作曲によるものか情報提供を呼びかけているようです(春日井市歌 なぜ古関作品?、「朝日新聞」6月28日三河版)。この記事の古関裕而記念館のコメントにもありますが、古関さんは、妻・金子さんが豊橋市出身であることから、愛知県とも関係の深い人物だということがポイントになると考えられます。そのため刈谷市を含む県内の自治体も、そうした愛知との縁を頼りにして古関さんに作曲を依頼したのではないでしょうか。

衣浦湾河口を求めて(その2)(6月25日)

さて、今度は知多半島へ。知多半島は長いので、衣浦湾の河口を眺められるスポットは数多くありそうですが、今回は衣浦トンネルの脇にある半田緑地公園を目指します。

衣浦大橋から半田に入り、国道247号線を南下して衣浦トンネルの半田側入口へ。料金所が見えてきますが、トンネルには入らないので、側道に入りしばらく進むと半田緑地公園が見えてきます。

地図で見ると半田緑地公園は衣浦湾に突き出ているように見えます。

写真:自転車歩行者道入口案内表示

公園内散策の前にトンネルの入口を見ようと、側道を見ると「衣浦トンネル自転車歩行者道入口」の文字が!?


衣浦トンネル、徒歩で渡れるんですね。知りませんでした。

早速、トンネルの中へ。人道トンネルは本州と九州を繋ぐ関門トンネルが有名ですが、ここにはエレベータがなく、徒歩で地下11階まで下りる必要があります。

地下11階まで下りると通路へ。長さは480mですが、長く感じます。一部老朽化により、工事が行われています。

写真:地下11階の案内表示

写真:工事中の立て看板


写真:トンネル中央の案内表示 碧南240メートル、半田240メートル

思った以上にすれ違う人、特に自転車の方が多かったです。碧南に入り、階段を上ります。段差があまりないので、辛くはないですが、結構距離を感じます。


写真:海とその向こうに見える町の景色

上りきると、光が…。碧南に到着です。ここは釣りの名所らしく、早朝から多くの方が釣りを楽しんでいました。(写真は碧南側から見た半田の眺め)


せっかく三河に戻って来たけど、車を半田に置いてきたため、折り返すことに。この折り返し、気持ちの面では辛いです。

次回は半田に戻り、衣浦湾を眺めます。

写真1
衣浦トンネル碧南側の入口

衣浦湾河口を求めて(その1)(6月16日)

歴史博物館の隣に流れているのは、逢妻川境川ですが、江戸時代には衣ヶ浦と呼ばれる海でした。衣ヶ浦は土砂の堆積によって徐々に埋まっていき、現在のような姿になります。衣ヶ浦は現在、衣浦湾と呼ばれていますが、この河口はどのような姿になっているのか興味があり、調べてきました

まずは三河側、刈谷から国道419号、国道247号と南に下り、碧南市に入ります。衣浦トンネルの入口脇で国道247号は左へ曲がりますが、直進してさらに南へ進みます。

片側2車線の広い道の中、右手に見えるのは「へきなんたんとピア」、中部電力の火力発電所です。ここに入れれば衣浦湾を見ることができるようですが、残念ながらこの時は臨時休館中。

この道は突き当たって工場に入ってしまうため、手前で左側に入ります。すると突堤を走ることとなりますが、南側に集落が見えます。ここが碧南市川口町です。この川口町は埋立地でほぼ平地、火力発電所を望むことができます。町を歩いていると公民館と神社にたどり着きました。隣には土地改良事業記念碑もあり、この碑文によると戦後干拓が行われ、昭和30年4月と31年11月に入植、まちが誕生したことがわかります。

碧南側は工場に囲まれており、衣浦湾の河口を望むことは残念ながらできませんでした。

次回に続きます。

写真2
川口神社(碧南市川口町)
写真3
川口神社脇の開拓記念碑

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