刈谷城・刈谷藩の概要

ページID1001972  更新日 2021年7月20日

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刈谷城について

写真:刈谷城絵図
刈谷城絵図(刈谷市郷土資料館蔵)

刈谷城は、三河最西部、境川河口の衣浦の入江に突き出した大地の上に築かれた平山城でした。
西の衣ヶ浦に面して、本丸を置き、周りに堀を巡らし、その外側に二の丸、その東側に三の丸がありました。

刈谷城の築城は、徳川家康の生母於大の方(伝通院)の父親である水野忠政により行われました。場所は現在の刈谷市城町(亀城公園や刈谷球場のある場所)になります。

上記のページでは、各所の寸法が記入されている正徳期のものとされる城絵図を中心に、元禄15年(1702)の城絵図も参考にして正徳期(1711~1716)頃の城下町から城郭内の状態を再現した復元CG「刈谷城と城下町」による刈谷城の説明があります。

写真:十朋亭

刈谷城本丸跡
現在、刈谷城の本丸と二の丸の一部が亀城公園となっています。本丸の北西の隅に立っていた櫓の場所には、現在、市民集会所である十朋亭が建てられています。

刈谷藩について

刈谷藩は、江戸時代、三河国碧海郡刈谷に藩庁をおいた譜代藩でした。戦国時代より、水野氏が支配しており、家督を継いだ水野勝成が関ヶ原の戦いの功で所領3万石を安堵され、藩が成立しました。弟の忠清が就封してからは、1万6000石~5万石で譜代が次々と交代しています。その後は深溝松平、久松松平、稲垣、阿部、本多、三浦、土井の9家22人の藩主が在任しました。

上記のページでは、刈谷藩の主な歴代藩主を説明しています。

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