近世3(刈谷城)

ページID1007674  更新日 2021年4月12日

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刈谷城

刈谷城図

本丸跡

城郭の心臓部にあたる場所です。1647年の城絵図によると、本丸は長方形で、東西約50m×南北約80mの広さでした。西側は衣ヶ浦に面した小高い一画で、周囲は土塁(どるい)と石垣によって囲まれ、表門と裏門の2つの門で出入りができました。正徳期(1711~1716)ころの城絵図によると、本丸内には番所と井戸があったことが確認できます。

現在は、亀城公園内に本丸跡の場所をしめす碑があります。

戌亥櫓(いぬいやぐら)

戌亥櫓は江戸時代前期まであったとされる櫓です。「戌亥」は北西の方角をあらわすので北西隅櫓とも呼ばれます。建物の造りは二層でできており、大きさは一層目が約7m×約9m、二層目が5mの四方でした。この戌亥櫓からは衣ヶ浦を見通して知多半島まで見渡すことができ、天守のような役割をもっていたものと思われます。

現在は櫓があったとされる場所に十朋亭(じっぽうてい)が建っています。

辰巳櫓(たつみやぐら)

辰巳櫓は江戸時代中期の1707年に起きた宝永地震で倒れたとされています。「辰巳」は南東の方角をあらわすので南東隅櫓とも呼ばれます。2層の辰巳櫓には、両側に渡りろうかのような多門櫓がつながっていました。

多門櫓は渡り櫓とも呼ばれ、倉庫も兼ねていました。多門櫓の南側には表門、東側には裏門があり、本丸の出入口となっていました。

二の郭(にのくるわ)

本丸から表門を出た一段下がった場所と、東側に2つの門を通った先の場所を、二の郭、または二の丸と呼びました。二の郭の南西には二層の月見櫓があり、月見を楽しむための櫓であったとされています。また正徳期(1711~1716)の絵図によると月見櫓の北側に火薬を保存するための倉庫である「煙硝蔵(えんしょうぐら)」もあったとされています。

現在、二の郭(二の丸)があった場所をしめす碑が、城町交差点の近くにあります。

三の郭(さんのくるわ)

堀をはさんで二の郭をぐるりと囲っている場所を、三の郭または三の丸と呼びました。二の郭と三の郭の間は大蔵下門という門があり、その東側には御殿とつながる仕切門がありました。仕切門の北側には米蔵もあったとされています。三の郭の南側には、馬場や材木小屋がありました。南西には本丸へとつながる海手仕切門と、市原町へとつながる市原口門がありました。

現在、三の郭(三の丸)があった場所をしめす碑が、郷土資料館にあります。

御殿(ごてん)

御殿は三方が堀に囲まれた小高い場所にありました。ここは藩主の生活の場であり、政治を行う場所でもありました。残された平面図によると、建物の中に大書院、小書院など、たくさんの部屋があったことが確認できます。

御殿は、現在の亀城小学校の運動場のあたりにありました。

大手門・冠門(かぶきもん)

町口門から本丸に向かって進むと冠門がありました。江戸時代は、上に櫓がない平屋づくりの門のことをまとめて冠門と呼んでいました。冠門をくぐって右に曲がったところにある大手門は、城の正門です。門の前には番所があり、通ることができたのは藩士のみでした。

現在、亀城小学校運動場南側に、大手門があった場所をしめす碑があります。

馬場

馬場とは馬術の訓練場のことです。三の郭の南側にあった馬場は桜馬場と呼ばれ、藩主が使っていたと考えられます。桜馬場は、長さおよそ160mは幅は10m以上だったと言われています。桜馬場の東側には厩(うまや)があり、城内で馬が飼われていました。

桜馬場は現在の刈谷球場のグランド辺りにありました。

町口門

町口門は城下町と城内を分ける門です。門の内側を丸の内と呼びました。門を入った左手に番所がおかれ、町人は鑑札(かんさつ)をもった者だけが通行を許されました。昼七つ時(16時ごろ)には門を閉めて通行を禁止しました。

現在の銀座5丁目に町口門があった場所をしめす碑があります。

椎の木屋敷(しいのきやしき)

徳川家康の生母である於大(おだい)が、岡崎城主の松平広忠に離縁されて刈谷に戻った際、一時住んだといわれている場所です。江戸時代は「霊地」とされて、一般の出入りは禁止されていました。中央はくぼ地で周囲が高く、椎の木が多く茂っていて、五輪の塔が数基あったとされています。

現在は亀城小学校の東にその一部が椎の木屋敷跡として整備され、わずかに面影を残しています。

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