近代(明治・大正・昭和時代)

ページID1007673  更新日 2021年4月12日

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明治・大正・昭和時代

刈谷駅と三河鉄道

大正時代の刈谷駅のジオラマ

1914年2月、西三河の南北をつなぐため、三河鉄道(現在の名鉄三河線)が開通しました。開通当時は、今の刈谷駅より少し南に建てられた刈谷新駅と、大浜港(おおはまみなと)駅(現在の碧南(へきなん)駅)の間で運行しており、1日あたり約700人の旅客と約28トンの貨物が利用する路線でした。この貨物には、高浜(たかはま)などでつくられた土管やかわらが含まれていました。

1927年には、三河鉄道と官営の東海道線(現在のJR東海道本線)との刈谷駅共同利用がスタートし、これまで外に出て行き来していた二つの鉄道が、1つの駅で乗りかえられるようになりました。

その後、三河鉄道は、1941年6月には、名古屋鉄道に合併(がっぺい)され、名鉄三河線・挙母(ころも)線【廃線】・西尾線・蒲郡(がまごおり)線となりました。

村上文庫の瓦

村上文庫の鬼瓦

村上文庫は刈谷藩の藩医を務めた村上忠順(ただまさ)が収集した蔵書群です。1914年ごろに刈谷町の宍戸俊治・藤井清七が購入し、新たに図書閲覧室と書庫を建築したうえで、この蔵書群を刈谷町に寄附しました。これに基づき、1915年11月23日に町立刈谷図書館(現在の刈谷市城町図書館)が開館しました。この瓦は、図書館の建物の鬼瓦です。

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