昭和59年度の展覧会(1984年4月から1985年3月)

ページID1001266  更新日 2021年2月25日

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郷土の南画家 渡部 香堂 遺作展

会期:昭和59年5月1日から5月13日

渡部香堂(1891年から1976年)は、本名を源左衛門といい、碧南郡刈谷町元刈谷村南屋敷(現在の刈谷市元町5丁目付近)で、常次郎の長男として生まれました。4人姉弟の末子で、幼少より画を好み、はじめ澤 梅谷に、のち一時半田町(現在の半田市)の山本梅荘に師事しました。

さらに研鑚のため上京し、日本南画院同人、小室翠雲門下となり、第7回帝展初入選以来、各展覧会に度々入選するなど活躍しました。1944年(昭和19年)頃戦火が激しくなり、依佐美村大字野田西屋敷に疎開しますが、仮住居においてもなお制作を続けました。
1956年(昭和31年)頃再び上京し、南多摩郡(現在の稲城市)に住居をかまえ、埼玉方面からの依頼を受けるなど制作に専念しました。

この展覧会では、約20点の作品を紹介しました。

第2回 衣浦東部美術展

会期:昭和59年6月6日から6月17日

衣浦東部地域(碧南市・安城市・知立市・高浜市・刈谷市)で活躍する100人の作家たちによる日本画、洋画、書、写真、彫刻、工芸作品、100点を紹介します。

この展覧会は、当美術館が開館した昭和58年6月に、開館記念展として開催しました「郷土作家百人展」を受け継ぐものです。昭和59年度より「衣浦東部美術展」と名称を改めて、平成20年度の第25回展まで開催しました。

第1回 愛知教育大学美術教室・総合造形コース教官展(愛知教育大学 美術教育講座 教官展)

会期:昭和59年6月26日から7月5日

刈谷市内にある愛知教育大学の美術教室・総合造形コース(美術教育講座)の教官有志による絵画、彫刻、工芸など多彩な作品を紹介しました。
昭和59年度から平成16年度の第20回展まで毎年開催しました。

岩月 光金 遺作展

会期:昭和59年10月2日から10月14日

チラシ:岩月 光金 遺作展

岩月光金(1917年から1968年)は1917(大正6)年3月22日に碧海郡高岡村竹(現豊田市竹町)に岩月長作の次男として生まれました。
幼少より絵をよくし、独学で絵を学んだ岩月は、刈谷中学校(現愛知県立刈谷高等学校)在学中の頃から名古屋市民展、東海美術展に入選し、絵画に対する自信を深めていきました。

1937(昭和12)年に愛知県岡崎師範学校本科第2部を卒業すると、名古屋市正色尋常小学校に訓導として赴任しました。
1938(昭和13)年に第25回二科会展に初出品して初入選すると以後4回入選し、1943(昭和18)年には第20回白日会展で白日賞受賞して会友となり、翌年には会員に推挙され、中沢弘光に師事しました。終戦後には、中沢の紹介により、当時知立に疎開していた和田英作の指導を受けました。

1946(昭和21)年に第1回日展入選し、以後、その他の展覧会でも数多く入選しました。昭和23年には画業に専念するために猿渡小学校(現知立市立猿渡小学校)を退職しました。

この展覧会では、人物画や風景画など35点の作品を紹介し、岩月の画業を振り返りました。

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