刈谷の祭り
刈谷を代表するお祭りを紹介します。
刈谷の祭り
万燈祭(まんどまつり)
万燈祭は刈谷を代表するお祭りの1つです。竹と紙で作った「万燈」は、高さ約5m、幅約3m、重さ約60kgにもおよび、これを1人でかつぎ舞を舞います。「天下の奇祭(きさい)」とよばれることもあります。
万燈祭はもともと、松秀寺(しょうしゅうじ)の土地に建てられた秋葉堂(現在の秋葉社)の祭りでした。『刈谷町庄屋留帳(かりやまちしょうやとめちょう)』という資料には、1778年に万燈が登場したと書かれており、これが万燈祭の起源とされています。
現在は、愛知県の無形民俗文化財にも指定されています。
野田雨乞笠おどり
野田雨乞笠おどりは、野田八幡宮(のだはちまんぐう)で行われる雨乞(あまごい)の儀式です。1712年に行われた記録が最も古く、その後もたびたび行われていました。太平洋戦争によって1942年に中断しましたが、1979年の刈谷市制30周年に合わせて復活しました。
野田雨乞笠おどりは、紅白の紙でかざられた菅笠(すげがさ)と浴衣を身に着けたおどり手が二人一組で行います。おどり手は、雨乞の唄(うた)と采配(さいはい)に合わせて、「つつろ」と呼ばれる短いバチで太鼓(たいこ)を打ちながら、太鼓のまわりでおどります。そぼくな祭りのようすは、産土神(うぶすながみ、その土地に生まれた者を守る神)にささげる農民のいのりを表すかのようです。
現在は、刈谷市の無形民俗文化財に指定されています。
大名行列
刈谷の大名行列は、市原稲荷神社(いちばらいなりじんじゃ)の祭りの一つです。この祭りは、10万石をもつ架空の殿様「秋田出来守(あきたできのかみ)」が、神輿(みこし)を警固(けいご)する形式で行われたとされています。「出来守」は『刈谷町庄屋留帳(かりやまちしょうやとめちょう)』の1846年7月に初めて登場します。そこには、当時麻の熨斗目(のしめ)という布でできた裃(かみしも)を着用して祭りに参加したことが記されています。
また、この祭りでは「奴(やっこ)のねり」が街の中をねり歩きます。大鳥毛(おおとりげ)という道具を投げ渡しながら歩みを進める姿はとてもユニークで、江戸時代の祭りの様子を今に伝えています。
現在、「奴のねり」は、刈谷市の無形民俗文化財に指定されています。
山車祭
山車祭(だしまつり)は、市原稲荷神社(いちばらいなりじんじゃ)の祭りの一つで、現在は大名行列と一緒に行われています。1687年に本町の山車が出たことが、祭りの始まりだと考えられています。
現在残っている山車は、肴町(さかなまち)と新町(しんまち)のもので、高さは5m以上もあります。黒い漆(うるし)と金箔、そして真っ赤な幕でかざられた山車は、とても豪華です。また、祭で演奏される山車囃子(だしばやし)も江戸時代からつたわるもので、当時の祭りの姿を想像させてくれます。
現在、2基の山車は刈谷市の有形民俗文化財、山車囃子は刈谷市の無形民俗文化財に指定されています。
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